私たちは、生まれた瞬間より好むと好まざるとにかかわらず、「宿命」が決定され、「運命」の出発点になります。仏典の「四苦八苦」では、この宿命と運命のかかわりを意味深く説いています。
あらゆる時代を通じて、そこに苦悩する人間は無辺であり、その煩悩もまた無尽であり、それは人間が生き続ける限り、存在する永遠の課題なのです。そして私たちが持つ迷妄と苦悩の根源(因)と条件(縁)は、極めて複雑多様化した今日の社会生活において不断に変化し、限りない特殊性、多様性を有しています。
運命や運とは、人間の意思を超越して人に幸、不幸を与える力、その力によってめぐってくる幸、不幸のめぐりあわせと解釈されます。心理学者カール・ユングは、「共時性(シンクロニシティ)」という原理で、運命を説明しようとしたのでした。
それは、外的世界の物質の運動を主として規定する「因果性」と共に、因果性とは独立して、意味やイメージの類似性・類比性によって、外的世界の事物や事象、個人の精神内部の事象等が互いに同時的な相関性を持つ「共時性(意味のある偶然の一致)」が存在するとされるとのことです。
m e d i c i n e という語意は a r t of h e a l i n g すなわち癒しの技であると言います。
古代より、心身の苦しみ、痛み、病を癒す技が、呪術であれ、聖術であれ、医術であれ、連綿と現代まで求め続けられてきました。もちろん、現代でも医療の根本は癒しであります。宗教は、一方では精神の健康と人間の支えとなるものであると思います。人間の生存は、つまるところ時とのかかわり合いであり、各種の環境と接し合い、相互に作用を及ぼし合いながら時間を過ごしていくことが生存であり、生活なのです。よって人間は空間的存在であると同時に時間的存在でもあるのです。人と時の関係には、ある周期をもって繰り返される可逆的なリズムと、一方向に不可逆的な道に進む加齢(aging)との二つがあります。
リズム( r h y t h m )という語はギリシャ語の r h e e i n (流れる)に由来していると言います。人間には分子生物学的な現象におけるミリ秒、秒の単位から概日周期(サーカリディアンリズム)におよぶ周期にいたるまでのリズムがあります。
それらの繰り返されるリズムで生起する生命現象の集積の上に人は生まれ、代謝し、育ち、生き、そして老い、病み、死んでいくのです。つまり、人は煎じつめて考えれば、時を過ごすことが一生なのです。
いい生活とはいい時を過ごすことであり、充実した生涯とはよく過ごした時間の集積なのです。その繰り返されるリズムが、ベストなとき、ベターな時を維持する事を願い、そして通俗的な意味での「ご利益」や「形而上」(けいじじょう)における幸運を願い干支機構を新設しました。
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