日本人僧慧萼(えがく)は、二回目の五台山巡礼(858年)において、山頂(菩薩頂と思われる)で観世音像を得た。日本に帰国しようとした際、海路補陀山付近で船が動こうとしなかった。これは観世音像がこの地にとどまりたいとの心を示すものであろうと推しはかって、この地に住む張氏宅に観世音像を安置した。のちに、一寺を創建して補陀洛山(ふだらくせん)寺と称した。よって、その観世音は「不肯去観世音」(行かず観世音院の意)とも称されている。これが南海の禅刹として名高い普済寺の起源である。後世、慧萼を開山とするようになった。
三蔵法師になった霊仙、五台山入山で中国四大仏教名山の一つ、普陀山をつくった慧萼、日本が誇る二人を偲びながら五台山を旅してみるっていうのも、いいんじゃない?
小説『水滸伝』に書かれている大力無双の破戒僧魯智深(あだ名は花和尚・「花」は刺青を指し、全身に刺青があったことであだ名の由来となった)が酔っぱらって、大暴れしたのがこの菩薩頂の山門である。