幸せ〜って何だっけ何だっけ〜♪
 
釈尊曰く「私だって幸福になりたい」
釈尊の晩年であるが、目の不自由な比丘(びく・修行者)がいた。仏教教団にあっては、自分のことは自分でしなければならない。盲目の比丘といえども、自分の衣のほころびは、自分で縫いつくろわねばならない。それが規律だった。
彼は、修中の途中で、修行のために、にわかに視力を失ってしまったので、勘もにぶく、針に糸を通すことができなかったので、それだけを誰かに手伝ってもらいたかった。
「どなたか他人に親切を施して、功徳を積んで幸福になりたい方はおらぬか・・・どうか糸を通してくだされ」
彼はそのように言った。功徳を積んで幸せになるという表現は、人にものを頼むときの当時の一般的な言い方であったそうな。
「どれどれ、私がその功徳を積ませていただこう」彼の声に応じたのは、なんと釈尊であった。
「いえ、わたしはお釈迦さまに申し上げたのではありません。お釈迦さまは別です・・・」
「どうしてだね。アヌルッダ(阿那律)」盲目の僧アヌルッダに向かって釈尊が言った。「私だって、幸福になりたいという点では、決して人後に落ちないのだよ」と。釈尊が理想とされたのは、もっと人間的な、温かみのある人生であったのでは・・・。
人それぞれの価値観だと思うが、今日より明日が、明日よりあさってが幸せでありたいと、みんなそう思っている。
今よりも、もっと幸せになりたいし、友達や友人たちは、み〜んな幸せでいて欲しいと思うし、12神将じゃないけれど、幸せにしてあげたいと思う。
幸せであるということは、どんなに欲深だっていいと思うよ!
きっと、明日も素晴しい幸せがくるだろうと。