現存する狛犬の最古例の一つ(春日大社)・国宝銅造狛犬(平安時代)
犬雑学
「犬公方」
戌年生まれの徳川五代将軍綱吉は自分の血を分けた子に跡を継がせたいという欲望から、犬を大切にすれば子供が生まれるという迷信をいだき、四谷・喜多見・大久保・中野に犬小屋を作り、元禄十年(1696年)に大久保(2万5千坪)、中野(1万6千坪)の両地に収容した犬は焼く4万9千匹近くにもなったという。犬を打ったりすると量刑に処せられ、殺しでもすると遠流(おんる)、江戸中引回し、斬罪、獄門にかけられた。
「中国六朝時代」
陸機は有名な文章家であるが、また非常な愛犬家でもあった。その愛犬黄耳は「能く人語を解す」といわれ、陸機が役人として京師に滞在中、故郷の者に手紙を届け、その返事をもらってくるように言いつけると、黄耳は耳をたれて聞き、往復50日を費やしてその使命を全うした。しかし家に帰ると間もなく死んでしまった。