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干支祈年殿
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★干支の守護仏は8

ンダラ」ってなんだか知ってる?
一言で言うなら、仏教での宇宙観を絵で表したもの。
マンダラにも胎蔵界、金剛界があるけど、一般的には8つの方角にそれぞれの仏さまが書かれているマンダラがある。


12支は、時間の単位として使われる場合は、24時間を12支で割った120分を1つの単位として、子の刻、丑の刻というふうに、12支がそのまま利用されたけど、方角のときは8つに分けることもあった。つまりこうなる。


胎蔵界曼荼羅
 宙の真理を描いた胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)は母親の子宮の中で眠り、育まれていく子どものように、人間が本来もっている仏性の種子が、仏の慈悲によって目覚め、育ち、花を開き、最後には悟りというかたちで実を結ぶまでが描かれている。
 支の守護仏もマンダラの真理・8方角による法則に関わる生まれ年の三世両重(過去・現在・未来)の因果という理論を基礎に、さらに生まれ年と仏さまをつなぐ密教的発想と解釈が加わり、二如来、五菩薩、一明王8仏が干支の守護仏と定め配されたのであった!


丑・寅辰・巳未・申戌・亥
《子年生まれの人の守護神仏》千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)


千手観音菩薩
 年生まれの人の守護神仏は
「千手観音菩薩」。正しい名前は「千手千眼観自在(せんじゅせんげんかんじざい)菩薩」。その名のとおり、手が千本もあって眼が千個もあるというすごいお姿をしているのである。
ど〜して千の手と眼などという奇妙なお姿になってしまったかというと、こんな話がある。
あるとき、千手観音さんは千光如来(せんこうにょらい)さんに「もし私が、この世の一切の人々を救い、利益を与えることができるほどの身であると、あなたがお考えでしたら、どうか私に千の手と千の眼を与えてくださいませ」
と願った。するとどうでしょう。たちまち、千手観音さんに千の手がニョキニョキと生え、千の眼が次々に出て来たではありませんか。めでたしめでたしとなりました。
つまり千手観音さまの千の手と千の眼は、「私のこの千の眼は、いつでも千人もの多くの人の悩みをくまなく見渡しています。そして私の千の手で、千人もの多くの人の悩みや苦しみを救ってあげましょう」ということなわけ。とても広大な救済を行う仏さまなんですねぇ。
しかし実際に千の手と眼を持つ仏像を作るっていうのは、ほとんど不可能。仏像としての千手観音さまには、真ん中の2本の手を合掌させ、あとは40本の手を持たせたものが多い。でも実はあるんです、千の手を持つ仏像が日本に。奈良の唐招提寺(とうしょうだいじ)の立像と大阪の葛井(ふじい)寺の座像は、どちらもちゃ〜んと千の手をもっているし、国宝にもなっている。子年生まれの人はぜひ一度は見ておくべきだと思うな。でも、やっぱり千の眼を作るのは無理みたい。もしほんとうにあったとしても、気持ち悪くて見られないような気がする。
というような仏さまなわけだけど、子年生まれの人はどこか手先が器用だったり人の手の届かないところでも手が回るとか(気が利くという意味)目先が利くということがあるのではないかな。それもこれも千手観音さまのおかげだったりして。

【雑学ブレイク】

 音さまは変身する!?
 年の守護仏である千手観音菩薩をはじめ、聖観音、十一面観音など観音部にはいろんな観音さまがいらっしゃる。ところが驚くなかれ、観音さまと言われるかたは、実は一人しかいないのである。じゃあほかの観音さまは、みんなニセモノだったのか!?というわけではない。
 音さまは、自由自在にその姿を変えることができるのであった!!
だから、いろんな名前ののついた観音さまは、一人の観音さまがいろんなお姿に変身した姿だったというわけ。特に観音さまは人間界に姿を現すときには、33もの姿に変身して、人々を救っているとのことだ。もし、見知らぬ人がいきなり仏さまのような優しい顔をして、困っているところを助けてくれたりしたときは、
「もしかすると、あなたは観音さまではないのですか?」と聞いてみるっていうのもいいかもしれない。

 ろんなところで見られる観音像は、仏像に比べると優し〜い女性的な顔をしているので、観音さまは女だと思っている人もいるんじゃないかな。ところがこれは、大きな間違い。一説には、仏さまはみな中性だとも言われているけど、厳密に言えば仏さまはみんな男。もちろん、観音さまも、れっきとした男なのである。
 ともとの仏教は、女は罪深い存在であると言われて、修行することもできなかったし出家だってできなかった。仏教社会=男社会だったわけ。こんな仏教の中に女の仏さまがいるわけないでしょう。
でも、仏教はだれに対しても救済の手を差し伸べるのがあたりまえと考えられるようになって、仏教を信仰する女性は、一度男性となってから成仏するというふうに考えられるようになった。今では、女性の方が一般的に宗教には熱心だと言われているけど、昔は女人禁制の世界だった。まったく、女性からみればふざけるなって感じだよね。
とにかく、時には女性のようなお姿、時には役人や子どもにも変身して人々を苦しみから救う観音さまっていうのは、まるでウルトラマンか仮面ライダーのようなかたなのではないでしょうか。
丑・寅辰・巳未・申戌・亥
《丑・寅年生まれの人の守護神仏》虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)


虚空蔵菩薩
 の「虚空蔵」とは、知恵や財産を入れることが出来る無尽の宝庫のこと。
つまり虚空蔵さまの務めというのは、いくら出しも尽きることのない蔵を民衆のために開け放ち、貧しい者には欲しいだけの財産を与え、知恵が欲しいと思う人には望むだけの施しをし、しかもその上、そのことについて少しも惜しいとは思わず喜びを覚えるーという意味のことが「大集経」(だいじっきょう)に書かれている。虚空蔵さまは、あり余る知恵と福徳を持つ仏さまなんです。とてつもなくスケールのでかい大蔵大臣みたいなもんですかね。

 空蔵さまの仏像にもいろんな形があるけど、そのほとんどは、右手に知恵を表す「燃える剣」を持ち、左手には「如意宝珠」(にょいほうじゅ)という玉を持っている。この「如意宝珠」という玉は「思いのままに知恵や慈悲という宝物を取り出すことができる福徳の宝玉」のこと。こんなものがもし人間界にあったなら、我も、我もと人間たちが殺到しちゃってたいへんだろうなぁ。この玉をめぐって各国が戦争しちゃったりして(まるでドラゴンボールのようだ)。どうして人間って、仏さまのようにもっと穏やかに生きることができないのかなあ。
この虚空蔵さまが日本で最初に祀(まつ)られたのが京都嵯峨野にある法輪寺。この地域には、子どもから大人へと変化する「13才」のときに、虚空蔵さまに厄落としをしてもらうという習わしがあるそうな。虚空蔵さまには「変体の厄を除く」というご利益もあるので、そのための習わしなんでしょう。おもしろいのは、この厄落としの帰りに嵐山の渡月橋を渡り切るまでに後ろを振り返るとせっかくの福徳がすべて逃げてしまうという言い伝えがあるんだって。
では絶対、渡月橋では振り返らないように・・・・・・。

 空蔵菩薩さまを守り神に持つ丑年寅年生まれの人には、もしかしたら
「ついつい人におごっちゃうんだよねぇ」
というおごりグセがあったりするんじゃないの?
私もおごられるのは大好きだけど、みんなは虚空蔵さまのようにすっごい蔵や、すっごい宝を持っているわけではないんだから、金欠にはくれぐれもご注意を!!
丑・寅辰・巳未・申戌・亥
《卯年生まれの人の守護神仏》文殊菩薩(もんじゅぼさつ)


文殊菩薩
 三人寄れば文殊の知恵」っていうことわざがあるでしょう。このことわざの示すとおり文殊菩薩さまは、仏さまの中でも最も知恵を象徴している仏さま。
 説には、父が阿弥陀さまで、その3番目の子どもとも言われている。
 殊菩薩さまの仏像の多くは、右手に知恵の象徴である剣を持ち、左手にはお経の巻き物を手にし、さらに獅子の背の上に乗るという奇妙な行動に出ている。
でもこれにはちゃんと意味がある。右手の剣は、世の中の出来事の中で何が正しいか正しくないか、何が善いか悪いかを判断する力を表している。さらにこの剣は、人々を悩ます数々の煩悩の根を断つためのありがた〜いもの。左手にある巻き物には、一切の知恵の根源となる宇宙の真理が書かれている。そして獅子の背に乗っているというのは、
「百獣の王といわれる獅子であろうと、どんな強者であろうと、仏の知恵にはかなわないんだぞー」
ということを意味しているわけ。
つまり文殊菩薩さまっていうのは、この世のことならすべて知っているというぐらいの知恵の持ち主として人々を導いてくれて、さらには煩悩からも人々を救い出してくれる優しさと強さを持ち合わせた仏さまなのである。

 殊菩薩さまは、知恵の象徴。とは言ってもこの「知恵」とは、ただ単に学問的知識のことを指しているわけではない。この「知恵」とは、世の根本を見る力、世の中の道理を見極める知恵のことであって、言い換えれば、おシャカさまが悟りを開いたときに得た知恵のこと。とにかくこの仏さまは、私たちが測り知ることのできないぐらい頭のいい方らしいですな。
 くの仏さまたちがインドの出身と言われているが、この文殊菩薩さまは中国の出身。中国山西省の五台山の菩薩頂に住み、一門の菩薩一万人とともに、説法を講じていると経典の中でも明言しているのだ。
中国ではこの五台山に巡礼をする人たちが多くなるにつれて、文殊信仰が盛んになり、文殊菩薩は、中国ではとても親しまれている仏さまだという。

 は変わるけど、文殊菩薩さまは、さすがに頭がいいだけあって、そのお話というのも人々の心を魅きつけたらしい。そこで、政治家の皆さんもなんとかこの仏さまのように、話がうまくなって人々の支持を得たいと思うようで、文殊菩薩を信仰するかたも少なくないとのこと。まあ悪用さえしなければ、政治家の皆さんが口達者になるのも悪いことではないんですけどね。
 殊菩薩さまが守り神なのに、
「あたしちっとも頭なんて良くないよ」という人いるかな?それは絶対おかしい。君は頭がいいはずだ!! 頑張れ!! 頑張るんだ!! やれば出来るはずだぞ!!
丑・寅辰・巳未・申戌・亥
《辰・巳年生まれの人の守護神仏》普賢菩薩(ふげんぼさつ)


普賢菩薩
 賢菩薩さまは、仏さまの中で一番賢い! そして慈悲深〜い心をお持ちでいらっしゃる。そのため別名を「金剛薩埵」(こんごうさつた)と言って、その意味は、慈悲の心がまるでダイヤモンドのように堅くて、その慈悲心がまぶしい光を放っているということなのである。ダイヤモンドの心を持つ仏。
この普賢菩薩さまの御心は、そのまま仏像にも表されている。

 手には「五鈷」、左手には蓮華を持ち六本の牙を持つ白象に乗っているのが、普賢菩薩さまの一般的な仏像とされている。右手に持っている「五鈷」というのは、仏の知恵を表す道具で、剣の先が5つに分かれている。この5つに分かれた先には理由があって一つ目は、宇宙の生命の本体を知る知恵。二つ目は、宇宙が移り変わる現象を知る知恵。三つ目は、宇宙のすべての物には差別がないということを知る知恵。四つ目は、宇宙には、善いことと悪いことがあることを知る知恵。五つ目は自分と他人の利益はつながっていて、両方が円満にいくことを知る知恵をそれぞれ現している。この五つの知恵がそろっていればそれはそれはすばらしい知恵に違いないと思うよ。
 う一つ。普賢菩薩さまの乗っている白い象の「六本の牙」にも理由がある。
よく天国と地獄という言い方をするけど、仏教の世界では正しくは「極楽と六道」という見方をする。この六道っていうのは、天道・人道・阿修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の六つのことで、それぞれの道で人々は苦しみ悩み迷っているんだ。ところが慈悲深〜い心をお持ちの普賢菩薩さまは、六本の牙で、この六道に迷う心を突き破ってあげようと言ってくださっているわけ。あぁありがた〜いって感じでしょう。
この仏さまは、ちょっとクールで賢くて、なのに広いお心の持ち主って感じかな。
その上、普賢菩薩さまっていうのは、女に負けないほどの美しい顔立ちをしているらしいんだよね。観音さまのように、いろんな姿に変身して説法をしているので定まった姿はないとされているんだけど、素顔の美しさと言ったら並々ならぬものがあるらしい。
この普賢菩薩さまの美しさをたとえたおもしろい話がある。

 々あるところに、偉いわりには遊び好きな一人の聖人がおりました。彼は、あるとき、遊女町に出かけて行って大散財をして遊んでいましたとさ(おいおい、聖人がそんなことしていいのかいって感じだけど)。そこへ、あまりにも主人の帰りが遅いので小僧さんが迎えにやって来た。
「だんなさん、もう遅いですし、いっしょに家へ帰りましょう。」
そうは言われても、隣にはそれはそれはキレイな女が
「帰らないでぇ」
ってな目をしているんだから、まだまだ家には帰りたくない。そこで彼は小僧に向かってこう言った。
「実は、私の隣にいるこの女性は、普賢菩薩さまであらせられるのじゃ。今、普賢菩薩さまは人間のお姿をしてらっしゃるのでお前には分からないかもしれないが、毎日修行をしている私には、それがちゃんと分かるのだ。私がこうして散財しているというも、なにも女と遊ぶためではなくて、普賢菩薩さまからありがたいお話をいただくためなんだよ。」
彼は、そう言って小僧を追い返すと、なおも遊び続けたのでありました。おしまい、おしまい。
こんなろくでもないところで悪用された普賢菩薩さまもかわいそうってもんだけど、このたとえ話が納得できちゃうほど、普賢菩薩さまはお美しかったということ。
まるで女の子のような顔立ちで、クールでそれでいて優しいなんて、まるで少女マンガによく出てくる美少年って感じしゃない?

 賢菩薩が守り神の人なら、きっと美し〜い顔立ちをしているのでしょう・・・??
丑・寅辰・巳未・申戌・亥
《午年生まれの人の守護神仏》勢至菩薩(せいしぼさつ)


勢至菩薩
 至菩薩さまは、知恵の光をもってあらゆるものを照らし、その苦を除いてくれる菩薩さまと言われている。
その名の通り、とてつもない威力をお持ちのかたらしく、
「勢至が足を投げ出しただけで、三千世界(大宇宙)はいうまでもなく、大魔王の宮殿までを揺るがせる」
とまで言われるほどであるからすごい。
もし勢至菩薩さまが、まかりまちがって縄跳びなんぞしようものなら、この世は地震の連続で、日本なんて海の底にしずんでしまうかもしれない。
でもその勢いに比べて性格はとても温順なかたなのだそうだ。これでちょっと暴れん坊なんて性格だったら、たいへんなことになってしまうもんね。
ところで勢至菩薩さまは、観音さまの姿によく似ている。

 像でその姿を見分けるポイントは二つある。
ひとつは、頭の上に載っているもの。観音さまは頭の上に阿弥陀さまを頂いているけれども、勢至菩薩さまのほうは、宝の瓶を載せている。まるでインドやアジアのあちこちで見かける水の瓶を頭にのせている女の人のようだ。
二つ目は左の手に持っている蓮華の花。観音さまは、開いた蓮華を手にしているのに対して、勢至菩薩さまの蓮華は、まだつぼみのまま。これは、人々が本来心の中に持っている仏の心を大きく開かせようとする意欲を表しているとされている。だからよく見ると勢至菩薩さまの右手は、つぼみを開かせるようなポーズになっているよ。

 音さまと勢至菩薩さまがとっても似ているというのには、実はわけがある。
「非華経」(ひけきょう)というお経によると、観音さまと勢至菩薩さまは前世で兄弟だったんだそうな。しかも父親は阿弥陀如来だというのだから、すごい親子だ。この阿弥陀如来の前世の姿は「無誦念王」(むしょうねんおう)という王様なんだけど、この王様には千人の子どもがいて、その中には卯年の守護仏の文殊菩薩さまや、辰年と巳年の守護仏の普賢菩薩さまもいるっていうんだから、ちょっと驚く。親として子どもたちがこんな立派な仏さまになったとあれば、鼻が高いってもんだろうね。
しかし、ほかの997人の子どもたちっていうのはどんな人たちなんだろうか。やっぱり落ちこぼれとかもいたのかな。
「文殊兄ちゃんや普賢兄ちゃんや勢至兄ちゃんは学校の成績も良かったのに、どうしてあんたはなにをやらせてもダメなんだろうねえ」
とかって比べられたりしてさ。

 至さまが守り神の人は、性格に勢いがあるのかな。それともすごい力持ちだったりするのかな。スポーツ万能だったりしない?
丑・寅辰・巳未・申戌・亥
《未・申年生まれの人の守護神仏》大日如来(だいにちにょらい)


大日如来
 の大日如来さまは、密教(仏教の宗派の一つ)においては、最高至上の絶対的な存在とされている。知恵と慈悲の心を両方持ち合わせたこの仏さまは、森羅万象(しんらばんしょう:宇宙に存在するいっさいのものごと)の真理・法則を仏格化した、いわば宇宙そのものとも言える仏さまなのである。どうだ、参ったかというぐらい偉〜い仏さまなのだ。
 宙において太陽は、光を照らすということで他の星に比べ大きな存在となっている。でも、いかに太陽とはいえ、夜をも照らすことはできない。だがこの大日如来さまの知恵の光明は、太陽をもはるかに上回り夜をも照らすことさえできるのだという意味で、日(太陽)より大なるものとして大日名付けられてんだって。
この大日如来さまには、二つの姿がある。

 つは、「金剛界大日如来」(こんごうかい)と呼ばれ、知恵を表す姿。もう一つは「胎蔵界大日如来」(たいぞうかい)と呼ばれる慈悲を表す姿。
この二つのお姿は表と裏のようなもので、二つが一つになって初めて完全な仏になることができるということを示しているんだ。言ってみれば、大日如来は、完全無欠の仏さまなわけ。そりゃ仏なんだからあたりまえだろと言われればそれまでだけど。

 日如来さまは、マンダラの中心的存在にもなっている。有名なマンダラには「金剛界マンダラ」と「胎蔵界マンダラ」というのがあって両方とも大日如来さまの名前から来ているわけ。
 教では、自己が大日如来さまになりきり、大日如来さまが自己になりきるという境地を理想としているんだけど、金剛界大日如来さまの仏像は、正にそのポーズを取っている。ここでたいせつなのは、両手と両指のサイン。よく忍者がやっているようなポーズで、左手は握って人さし指を立て、右手でその左手の人さし指を握って、右手と左手の人さし指を合わせるという姿。これは、「知拳印」(ちけんいん)と言われているんだけど。このとき右の手は仏さまを意味していて、左手は私たちのような人間・凡人を意味している。指先と指先を合わせているってことは「体と言葉と心と三つの修行さえできれば、あなたたちでも、いつでも仏の世界に、悟りの世界に入れるんですよ」と言ってくれてるわけ。
 来さまの仏像は、一般に衣を一枚まとっただけのシンプルな姿が多いのに対して、この大日如来さまだけは、冠をつけたり、装飾品で身を飾ったりと、なかなかファッションにもうるさいようである。もしかしたらこの年に生まれた人って、ファッションに妙にうるさかったりするんじゃない?
丑・寅辰・巳未・申戌・亥
《酉年生まれの人の守護神仏》不動明王(ふどうみょうおう)


不動明王
 教では、明王は如来の使者的な性格を与えられていたのが、後に明王部の全部が大日如来さまの眷属(けんぞく:人間社会でいうと秘書のような人)となって仏教そのものを守る守護神となったとされている。
その明王部の中でも「お不動さま」と呼ばれて人々に最も親しまれてきたのが、この不動明王さま。
その姿はと言えば、とにかく、
「どーしてそんなに怖い顔をしているの」
というぐらいにいかめしい。仏さまの中で一番のブ男と言えるんじゃないかな。でもこの顔にはちゃんとした理由があるんだから。

 動明王さまの仕事というのは、とにかく大日如来さまの教えを人々に広めることにある。彼としては、なんとしてでもその仕事を成し遂げなければならないのだから、他の仏さまのように優しい顔なんてしてられない。
「このヤロー言うことを聞かないやつは、ふん縛ってでも『うん』と言わせてやるからな」
ってな姿勢で仕事に励んでいるわけだから、どうしても怖い顔になってしまう。だから許してやって。
この顔立ち以外にも、不動明王さまの、お仕事に対する頑固なまでのいちずさを現しているものがいろいろある。
まずは、右手に持っている大きくて鋭い剣。これは、煩悩や悪い人間関係を、断ち切ってやるためのもの。
左手に持っている縄は、「ふん縛ってでも」言うことを聞かせるときのため。でも何もしていない人をいきなり縛るなんてことはもちろんしないよ。いくら言い聞かせても迷ってばかりいる人には、
「仕方ない。これもこいつを救うためだ」
と思って縛るわけよ。
堅く閉ざされた口も、その一つ。人間たちの無用のおしゃべりを戒めるための一種のポーズなわけ。

 の怖い顔の上に背中には真っ赤な炎まで背負ってらっしゃる。これは、いつ出会うかもしれない災難や、私達の煩悩、そして自分の心に生じた悪い考えをも焼き払ってしまおうというもの。
でも、これほどまでに強い意志で、わざと怖さを強調している不動明王さまなのに、よ〜く見ると、片方の目からは涙を一滴流しちゃったりしてるんだよねぇ。どうしても隠しきれない慈悲の心ってやつですか。なんか不動明王さまって、ちょっとチャーミングなかたかもしれないわ。

 は、不動明王さまは、大日如来さまの下で既に悟りを開いていると言われている。それなのにどうしてわざわざ、こんな怖い顔でいるんだろうと思うよね。それは、大日如来さまから受けた、
「お前はこの世のすべての人々を救済してあげておくれ」
という命令を、ひたすら実行するためなわけ。一見、日本のサラリーマンのような、と思ってしまうけど、ただ出世ばかりを願う人が多いサラリーマンとは違って、不動明王さまには、大日如来さまから受けた、とてつもなく大きな役目があるわけ。だから、ここまで自分の役目に一生懸命になれるわけ。
これって、もしかして「仏のロマン」ってやつだったりして。

 動明王を守り神に持つ人は、頑固なまでにきまじめな人が多いんじゃないかな。でも嫌われる頑固さじゃなくて、尊敬される頑固さ。
もしお不動さまのように頑固な人がいても、その心の底にあるものをちゃんと理解してあげようね。そうすればその人の持つ本当の良さが見えるはずだよ。
丑・寅辰・巳未・申戌・亥
《戌・亥年生まれの人の守護神仏》阿弥陀如来(あみだにょらい)


阿弥陀如来
 弥陀如来さまは、だれもが行きたいと(死んだらだけど)願う極楽浄土にいるというよりこの極楽浄土を造ったのが、実は阿弥陀如来さまなのである。
かつてはインドの王族の王子だった阿弥陀さまは、あるとき、世自在王如来(せじざいおうにょらい)という人の説法を聞き、いたく感動して出家しようと決心したわけ。それから国を捨てて修行を重ねまくったんだ。とてつもなく永い間、どんな世界が理想の世界なのかを考えた末、彼は、48の誓願を立て、さらにとてつもなく永い修行の末に、その48の誓願をすべて成就させて、とうとう理想の国・極楽浄土を建てちゃったわけ。

 でも極楽浄土で説法を続けなさっておいでの阿弥陀如来さまとは、宇宙の無限を指し示す仏さまで、計り知れないほどの寿命と計り知れないほどの光明という二つの徳性を持っている。
そのため阿弥陀如来さまは「未来救済の仏さま」と言われ「私を信仰する者は、必ず極楽浄土に連れていってあげますよ」というありがたいおかたなのである。普通、極楽浄土へ行くためにはそれなりの徳を重ねなくてはならないもの。それなのに阿弥陀如来さまを信仰し「南無阿弥陀仏」と一心に唱えるだけでだれでも極楽浄土へ行けちゃうっていうんだから、こんな嬉しいことはない。この阿弥陀仏信仰が、一時日本で大流行しちゃったっていうのも、うなずけるよね。

 ころで、阿弥陀如来さまの、両手と指のポーズには9通りある。これは「九品印」(くほんいん)と言って、死者を霊界に迎え入れるときに、その信心の深さによって9つの品種(あぁ人間は仏さまから見ると、ただの品物程度のものなのかなぁ)に分けるためのポーズと同じ。つまり、阿弥陀如来さまが、どんなポーズを取っているかでその人は、自分がどの程度の信仰心しか持ち合わせていなかったかが分かり、それによって霊界での迎え入れられ方がぜんぜん違うわけ。どんなにうわべを装っても、阿弥陀如来さまにはそれが一目で分かってしまううんだなあ。
 弥陀さまが守り神の人は、いいよね。すっごい強力な助っ人がバックについているようなもんでしょう。トライしたいことがあるのになかなかふんぎりがつかなかったりする人も、弱気になっていないでチャレンジしてみたほうがいいよ。
阿弥陀さまがついてるんだもん。百人力だよ・・・・・・。

 たちだってその生まれながらにして、守ってくれるという、理に適った守護仏の恩恵にあやかって「幸せ」になろうじゃないの。

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