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干支祈年殿
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★干支の守護神が出現する五台山とは…(世界遺産)

五台山図

 千メートル級の五つの山峰に囲まれた天険の地、五台山は中国仏教の四大聖地の一つであり、四大聖地名山の中で最も歴史が古く、五台山だけが経典の中にその名が登場する。
 殊菩薩の応化した霊場とされ、「華厳経(けごんきょう)」によれば、清涼山(五台山)に文殊菩薩が一万の菩薩眷属(けんぞく)とともにここに住して、常に説法していたという。

 三人寄れば文殊の知恵」っていう、ことわざがあるでしょう。(中国では坊さんが千人集まってようやく文殊の知恵という)このことわざの示すとおり文殊菩薩は、仏さまの中で最も知恵を象徴している仏さまである。
一説には、父が阿弥陀さまで、その第三子に生まれ、弟の普賢が第八子とされている。


文殊菩薩像
 殊菩薩さまの仏像の多くは、左手にはお経の巻き物を手にし、さらに獅子の背の上に乗るという奇妙な行動に出ている。でもこれにはちゃんと意味がある。右手の剣は、世の中の出来事の中で何が正しいか正しくないか、何が善いか悪いかを判断する力を表している。さらにこの剣は、人々を悩ます数々の煩悩の根を断つためのありがた〜いもの。左手にある巻き物には、一切の知恵の根源となる宇宙の真理が書かれている。そして獅子(しし)の背に乗っているというのは、
「百獣の王といわれる獅子であろうと、どんな強者であろうと、仏の知恵にはかなわないんだぞー」
ということを意味しているわけ。

 まり文殊菩薩さまっていうのは、この世のことならすべて知っているというぐらいの知恵の持ち主として人々を導いてくれて、さらには煩悩からも人々を救い出してくれる優しさと強さを持ち合わせた仏さまなのである。
 殊菩薩さまは、知恵の象徴。とは言っても「この知恵」とは、ただ単に学問的知識のことを指しているわけではない。この「知恵」とは、世の根本を見る力、世の中の道理を見極める知恵のことであって、言い換えれば、おシャカさまが悟りを開いたときに得た知恵のこと。とにかくこの仏さまは、私たちが測り知ることのできないぐらい頭のいい方らしいですな。
 くの仏さまたちがインドの出身と言われているが、この文殊菩薩さまは中国山西省五台山の出身。五台山の菩薩頂に住み、一門の菩薩一万人とともに、説法を講じていると経典の中でも明言しているのだ。
 本の仏教のルーツともいわれ、「三蔵法師になった日本人の霊仙(りょうせん)三蔵」、慈覚大師円仁(えんにん)、宗叡(しゅうえい)、然(ちょうねん)、成尋(じょうじん)などの各高僧が仏法を求めて入山している。
円仁の『入唐求法巡礼行記』(旅行記としてはマルコポーロの『東方見聞録』を上回ると評されるほど、事実を正確に記録している)によると、五台の山を遠望したときの感激を「地に伏して遥かに礼し、覚えず涙をふらす」と、神々しいばかりにそのようすをつづっている。また、南台の霧深い山中で「聖燈」(仏の御光・御来迎)などの奇瑞を多数目撃したとする記述や、文殊菩薩に関する数々の霊験や高僧の奇瑞などが記されている。
五台山仏教は、彼ら日本人留学僧によって日本に伝えられ、今日の教えに浸透し、根強く生きている。


円仁
 叡山延暦寺の三代座主。
  838年短期留学僧の遣唐使として入唐する。9年半にわたる旅行記『入唐求法巡礼行記』を書き残す。
  「入唐求法巡礼行記」は玄奘(げんじょう)三蔵のインド旅行記である「大唐西域記」(646年成立)やマルコポーロの「東方見聞録」(マルコポーロの旅行記。日本を黄金の国ジパングとしてヨーロッパに紹介。1299年完成)とともに、三大旅行記として高く評価されている。


成尋
 安中期、天台宗の僧。1072年、北宋に渡り、天台山や五台山を巡礼後、中国に残った。その旅行記に『参天台五台山記』8巻がある。

 代には、300を越す寺院が建立されたが、現在は76寺、5638間の殿堂楼閣があり、そのうち、63寺にある仏像は大小合わせて34108体とされている。
 台山の金閣寺、仏光寺、竹林寺、吉祥寺などの銘は、日本の寺と同名で、京都嵯峨野の釈迦堂には五台山清涼寺の額が掲げられている。

囲250キロ、3000メートル級の山が環状に並んでいる。土の台を築いたようになっているので、五台山と名付けられた。

京都嵯峨野の釈迦堂
都嵯峨野の釈迦堂で知られる清涼寺は山号を五台山と称する。
東大寺の僧然(ちょうねん)が京都の愛宕山を五台山に見立て、山麓の地に清涼寺を建立しようとしたが、その願いを達しないまま、1016年然は没した。彼の意思を継いだ弟子の盛算(じょうさん)が五台山清涼寺を建立した。


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