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★六曜(ろくよう)

日めくりの六曜
 週六日からなる「六曜」(ろくよう)とは‥‥。
ご存知のように、「先(せんかち)」「友引(ともびき)」「先負(せんまけ)」「仏滅(ぶつめつ)」「大安(たいあん)」「赤口(しゃっく)」であるが、迷信的な暦注(暦に記載される日時・方位などの吉凶、その日の運勢などの事項)が姿を消した今日、六曜だけが厳然と幅をきかせている。

 安時代より江戸時代に至るまで、陰陽道による暦注が数多くあり、人びとはその暦注を生活の手がかりとして日々の暮しを営んできた。
だが、しだいに迷信的な要素が強くなり、江戸幕府は、しばしば禁令をだし、明治5年(1873年)11月9日「改暦の詔書」によって「太陰太陽暦」を廃止して「太陽暦(グレゴリオ暦)」を採用し、暦注はすべて禁止された。

 曜も姿を消すことになったが、明治15年頃より、旧暦や暦注を懐かしむ思いと、てがかりを求めるささやかな宗教心である「おばけ暦」なるものが出現し、昔ながらの俗信の火が再び灯ったのである。
昭和20年(1945年)の敗戦によって、出版の自由が認められ、「六曜」は他の暦注が復活する余地もないほど定着し、厳然と幅をきかせて横行している俗信の一つである。

 曜は、旧暦(太陰太陽暦)をもとにつくられているので、旧暦と太陽暦(グレゴリオ暦)の関係は大変難しく、旧暦では整然としている六曜も太陽暦からみるとまったく不規則である。
六日づつ一定の順序で進んできた六曜が、ある日突然一つ二つとんで、また何事もなかったように、同じ順番を繰り返していくという不思議な存在である。
この、およそ1ヵ月ごとに起こる六曜の不連続性が神秘性をもつのであるまいか。

 曜は暦を見なければ分からないし、簡単な計算で見出だすことの出来ないところが魅力なのである。不規則性の理屈は分からないながらも、そこには何か裏付けがあるのだと信ずるところに、迷信としてかつぐ楽しさがひそんでいることにより、人気があるのかもしれない。
曜の意味》
:「先んずれば勝つ」の意で、午前中が吉とされる。
引:もともと留連(りゅうれん)といって、勝負がとどまる、勝負なし、つまり「共引き」から「友引」となり、葬儀を出すと友を引くとの迷信が生まれ、この日は現在でも葬儀社は休日となっているほどである。
:先勝に対応して、先んずれば負けるとした、午前は凶、午後は吉とする。
滅:元来は「空亡」だったのが「虚亡」と変わり、これがすべて虚ろで空しいの意より、「物滅」となり、さらに仏も滅するような大凶日で「仏滅」となった。万事に凶とされている。

花嫁と昔の結婚式
安:元は「泰安」で、万事に吉の日であるとされる。
新窓の  花は暦の  日でひらき  
  (天保年間)
  注釈:大安吉日を選んで嫁入りするのは、今も昔も変わらない。
  去るときは  暦に何の  さたもなし  
  (柳多留38篇)
  注釈:結婚する時は、大安を選び、事を進めるのに、離婚の時はいっこうに暦など見ようとしないのが人情である。

口:そのいわれは、赤口神という木星の門を守る神の配下に八大鬼がいて、一日交代で守っているが、三番目の羅刹鬼が人々を恐ろしい顔で威嚇するので、この鬼の当番日を赤舌日または悪日とした。

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