仏教説話のなかにも、盲目の亀が百年に一ぺん浮上して、大海に浮かぶ一本の丸太の穴に偶然、首を突っ込むほどの、滅多にない機会であると記されているそうな…。
 
囲碁に「劫」(こう)というのがある。
 一目を双方が交互に取り返せる局面のとき、その一目を取れば断然碁勢が有利になる場合でも、相手がその一目をとった直後は取り返すことができず、一ぺん別のところへ石を打ってからでなければ取り返せない。このルールを劫という。
このルールがないと、大事な局面で将棋の千日手のように戦線が膠着してしまう。よって、無限にゲームが続いて終わらなくなるわけである。
この「劫」とはサンスクリット語のkalpaを音訳した<劫波 カルパ>から来ていて、極めて長い宇宙論的な時間という意味がある。
仏典には次のようなたとえ話が載っている。
一辺の長さが一由旬(牛車で一日の行程、約14.4キロ)の立方体をした城砦にケシ(芥子)粒を満たして、百年に一粒づつ取り出したところ、全部取りつくしても劫が終わらなかったと、いうのである。
また一辺が一由旬の巨大な石を百年に一度、天女が舞い降りて羽衣で払い、石が磨りへってなくなっても劫は終わらないといわれている。
 
なお、このたとえは落語『寿限無』にも登場する。「億劫」じゃなければスタート。
「寿限無寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末、雲行末、風来末、食う寝るところに住むところ、やぶら柑子(こうじ)にぶら柑子、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコナのポンポコピーの長久命の長助」これは、健やかに育って長命であるようにと、横丁のご隠居につけてもらった名前であるが、ご隠居にはちょっと学があった。
 「五劫」とは四劫の一つ上で、それがすりきれた後までということである。四劫とは、仏教で人類が生まれた時代(成劫 じょうこう)人類が生きる時代(住劫 じゅうこう)世界が破滅する時代(壊劫 えこう)すべてが破滅する空虚の時代(空劫)をさしている。これは世界の盛衰を説いたもので、何やらノストラダムス的、予言めくようであるが、30億年後に太陽は巨星化し、地球はその高熱で燃え尽きるだろうといわれている。まあ、そのころには人類は他の星への宇宙移民が始まっているでしょうが・・・?
そして、海の砂利や魚も多いもののたとえで、海水や風雲も永劫の彼方に流れ続ける。やぶら柑子(藪柑子)の実は雪にも負けず青々と育つ。グーリンダイとシューリンガンというのは、古代インドの北方にあった仮想国パイポの国王と王妃の名前で、長寿で知られ、その子ポンポコナとポンポコピーも聖人として長命を保ったという。
 
何がなんだかわからなくなってきたので、この辺で生活に密着した<数>を表す話に…。
「千」という数字で思い浮かぶのは「千里眼」千里眼は、中国の神「媽祖」(まそ)という随神の名である。また媽祖には「順風耳」(じゅんぷうじ)という風音も聞きわける、もう一人の随神もいたという。
「センブリ」はチョー苦い薬草で、「千回抽出してもまだ苦い」ということで「千振」。
 
「千日草」(別名 千日紅)は、夏から霜が降りるまで永持ちするので「千日草」。
江戸末期、浅草の飴売りの七兵衛が名づけたと言われる、長命祈願をこめた七五三の「千歳飴」や将棋の「千日手」「千慮の一失」「千客万来」「千変万化」「千差万別」のように千は<おびただしく多い>という意味に使われている。
ちなみに「十人並み」はまぁまぁだが「千人並み」というと、何ということか「極めつけのブス」という意味になるらしい !
「万」は「万歳」バンザイと発音されるようになったのは、1889年、臨時観兵式に向かう明治天皇の馬車に向かって万歳三唱したのが最初だという。当初は、「奉賀」が提案されたが、しかし、「連呼すると『ア・ホウガ』『ア・ホウガ』と聞こえることにより却下された。
ヤブコウジ科の「万両」は赤い実が長持ちするのと、一万両にも値する美しさから命名されたという。
センリョウ科の「千両」も「万両」も大金であり、ともにめでたい花として正月用の生花などに使われている。
日本最古の歌集『万葉集』は、多くの歌とか万世に伝わるべき歌といった意味であり、その他には「万古不易」「万事休す」「万年筆」「万年床」「万力」などなど…。多い、全ての、限りないといった意味がある。
「百」は、「百日紅」(通称サルスベリ)「百方手を尽くす」「百芸に通じる「酒は百薬の長」「百科事典」「読書百遍」「百日咳」「百面相」などなど…。多いという意味で「百も承知」「二百も合点」というのも同類項となっている。
「八百」は、「江戸八百八町」「京都の八百八寺」「難波の八百八橋」や八百八品の品種を並べるところから、「八百屋」。同じ並べるのもたてつづけのインチキとなると「嘘八百」となる。
「九」は、くねくねと折れ曲がった道「九十九折」(つづらおり)「九死に一生」